忌部
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調査日 | 2015/06/30 | 2017/04/30 | 2019/02/28 | 2020/12/31 |
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人口 | 2,194 | 2,148 | 2,142 | 2,073 |
世帯数 | 787 | 804 | 825 | 820 |
65歳以上人口 | 657 | 695 | 720 | 732 |
高齢化率 | 29.95% | 32.36% | 33.61% | 35.31% |
過去データはこちら
出典:Matsueオープンデータバンク(http://mob.tpj.co.jp/mob/no_login)
買い物できるところ(スーパー・小売店) | |
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金融機関 | |
郵便局 | |
交番・駐在所・消防 | |
公共施設(集会所含む) | |
公共交通機関・民間交通機関 | |
教育・子育て機関 | |
医療機関 | |
公園・運動場 | |
高齢者福祉施設 | |
障がい施設・その他 | |
道の駅・拠点店舗 |
アミューズメント | |
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お宝発見・ミュージアム | |
神社・寺・城 | |
伝統行事 | |
温泉 |
施設名 | 自然休養村センター・豪農屋敷 |
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地域名 | 忌部 |
カテゴリ | 旅行・レジャー |
投稿者 | システム管理者 |
投稿日 | 2015/12/08 16:30 |
コメント |
自然休養村センター・豪農屋敷 |
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地域の写真 | 忌部地域の歴史 |
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どうして忌部という地名がついたのだろうか。そこには大きな歴史ロマンがひそんでいる。 玉湯と忌部の両地区にまたがる形の山 “花仙山(かせんざん)”(199m)は古くからメノウの産地として知られていた。特に忌部側から美しい赤メノウの原石が豊富に採れる。このメノウを使って両地区では、弥生時代末(3世紀中頃)から平安時代(11世紀)までの700年間、勾玉や管玉が大量生産された。日本最大級の玉生産だった。(全部で約50か所の玉作り工房跡が見つかっている。その内12か所が忌部地内。当時は出雲を代表する工業地帯だった。また玉作りをする村人たちのリーダーの墓と考えられる古墳も3か所確認できている。) 中でも奈良時代には、天皇に仕える中央豪族、忌部氏が玉湯・忌部両地域を“忌部(いんべの)神戸(かんべ)”という玉作り専門の場所として管理し、大量の玉を作らせた。忌部氏が直接支配をしていたことをうかがわせるのは、忌部神社の祭神として忌部氏の祖先 “天(あめの)太(ふと)玉(たまの)命(みこと)”が祀られていることである。 忌部という地名は、おそらくこの忌部神戸と忌部神社に由来するだろう。特に忌部氏の氏神が祀られている点から、ここ忌部は大変重要な所ではなかっただろうか。(宍道正年) (忌部公民館 まち歩きマップより) |
観光・商業施設 | 3.0 |
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金融機関 | 1.0 |
公共施設 | 3.0 |
公共交通機関 | 1.0 |
教育・子育て | 3.0 |
医療機関 | 1.0 |
高齢者福祉 | 1.0 |
障がい施設他 | 3.0 |
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